白と影

徒然なるままにヲタ暮らし

道化の瞳 2014.11.2観劇

新聞の文化欄に演出家の方のインタビューが掲載されており、あっ演出タップダンスの方だわー。と、ちょっと頭に残っていたのと、主人公屋良さんだわー。っていうのと、西梅田に用事あった帰りちょうど開演30分くらい前だった。という3つ重なったのでもうこれ行っとこう!となって当日二階席で観てまいりました。

端的に感想を述べると、なるほど。泣いて、笑って、感動する劇。そのものだなぁという感じ。

 

うがってみると、人の死で泣ける物語というのは比較的簡単(いや決して簡単ではないけれど)で笑わせる方が難しいという考えがあるので、小児病棟の物語っていうだけでずるいくらい泣けてしまう話じゃんーまちがいないじゃんーーみたいな悔しさは少しあったりもします。

そら泣きまっせ。そして横の座席のお姉さまたぶん屋良さんの熱心なファンぽくておそらく何度も観てらっしゃる様子でアンケート用紙みっちり埋めてて劇中静かにずっと泣いてて、そうやな自担がこれやっとったら涙腺崩壊やわ…わかる、わかるで…みたいなほらなんかそういうのはあるんですが…

 

泣ける!笑える!感想はファンの方々が述べていらっしゃいそうなので私は、あっこれこわい!っておもった部分の感想を自分メモとして残しておこうと思います。

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主人公の少年は現実に生きる世界は小児病棟。主人公は白血病で入院しており、一番の友達は人形のチャーリー。

人形の名前は、彼の母が大好きなチャーリー・チャップリンからとった名前である。

彼の母は盲目であり、映画を『観る』ことはできない(映画もサイレント映画である)が作品の内容が好き、という設定。

彼の入院している病院は前院長の方針による経営難で、難しい手術や治療の成功例を求めている。

少年が慕っている主治医や看護師たちは明るく少年を励ましてくれる存在であったが、現院長との治療方針の違いから担当をはずされてしまう。

そして少年は偶然、自分の病が治療の施しようのない状態であることを立ち聞きしてしまう…

 

現実世界での少年の死の間際、舞台は、少年が(盲目の母親に見せるため筆跡が浮き出すペンで)描きあげた絵本の世界へ転じる。

 

主人公の置き換えは彼自身がつむいだ絵本の中では、活発に駆け回る靴磨きの少年、のように思える。けれど、本当に置き換えられているのは大道芸の唖の男・チャーリー。

物語の後半、チャーリーは実の母親に捨てられ、赤子の時に靴磨きの少年の実の母親に喉をつぶされた過去があることが明かされる。

 

唖の男は、彼が慕う女性の窓辺に毎、夜バラの花をそっと一輪投げ入れる。彼が愛する女性・は現実世界の盲目の母親の姿をしており、母同様に彼女もまた盲目である。

この『盲目の女性にバラの花をささげる男』という設定が、少年自身の置き換えのようで、病院で主治医らの協力で行った母へのバースデーサプライズと重なる。

 

母は盲目であり、少年が身をかくすとその場所がわからない。そのため少年の病室に入ってきたとき、近くにいた主治医の方に駆け寄ってしまう。その場面の少年は母親に、プレゼントとして母親の大好きなバラの花をわたす。

 

絵本の中の女性・はひとりひとりに挨拶をかわすとき、靴磨きの少年、大道芸人たち、そして最後に残った唖の男(のタップダンスの靴音でそれとわかる)に挨拶をする。

 

やがて盲目の娘はひとりの男性と出会い、その男性は娘の目の治療方法を彼女に伝える『角膜移植が成功すれば光を得ることができる』と。

 

それを知ったチャーリーは自ら命を絶ち、その角膜は彼女の手術に用いられる。そしてチャーリーの死後、遺書が見つかる。(この遺書は現実世界での少年の遺書と重なる)

 

絵本の物語の最後に登場する娘、手術は成功したがまだ包帯を取ることが出来ない。

『ねぇ、チャーリーはどこにいるの?』

 

現実の少年は、母親の心にずっと訴えかけている。

気付いてほしい。ぼくはここにいるよ。その気持ちが窓辺に投げられる一輪のバラ。

さみしい、くるしい、いたい、こわい、しにたくない。そんなような気持ちを心の奥底に抱えながら、母に心配をかけまいとつとめて明るく接する少年が感情の置き換え。

 

現実世界の少年の遺書は『僕の目を、母さんにあげる』という言葉で締めくくられている。

 

暗い話かというとそうでもなく、楽しい話かと言えばそうであり、同時にそうでもなく。 演劇を観るということに関して、異物を自分の中に入れるものであると思っている私にとって心地よい異物感がありました。

 泣ける、とか、笑える、とかよりも 漠然としたこわさを感じてしまってこれだけ時間を置いてもまだ説明できないんですけれど、いい話泣ける話、笑って泣ける話、という裏に押し殺されたこどもの気持ち、みたいなのないすか。なんかそこつらくないすか。みたいなものがわだかまる。そんな印象でした。

 

(でもこれ小児病棟の話だから純粋に純粋なこどもの親に対する気持ち、って素直に受け取ればいいのかもしれないんだけどもね…!)

 

あ。ナチュラルキラーマン、超すきです。