白と影

徒然なるままにヲタ暮らし

『冬眠する熊に添い寝してごらん』

非常にざっくりです。

 

・観る前の率直な気持ち。

おっ蜷川作品だ!蜷川作品の杏ちゃん一度観てみたかった!!

上田君もそこに出ちゃうのか!楽しみーー!

 

・とりあえず脚本を読破してみて。

(これは観てわかるのだろうか…)

 

・観るまでの期間に感想を聞いたりTLを漁ったりしつつ。

うーんめっちゃ上演時間長くない…?(蜷川作品やわ…)

文章で分かりにくかった部分全部観たらわかるように表現してあるの?あ、そうなの!?

 

・観終わって。

あ…すんごい『演劇』って感じだった…(しかもお金のかかった演劇だった…)!

 

以上、貧弱な語彙でお送りしました添い寝っ熊期間の私の感想の経過。

度々、演劇っぽい…みたいな発言をしがちなのですか演劇っぽさってなんだと言われたらうまく説明できないのですが なんでしょう…体感?

(スッと入ってくるんじゃなく引っ掛けてきたり引っ掛かるように見せられている感じ…? というか)

考えさせられるというと聞こえはいいんだけど、端的に言うとそれは"気持ち悪さ"であったり違和感であったりもするんですが、自分の感覚でそれを言葉にすると、『でぇぇぇい!!って言いながら卓袱台返したい。』になる(語彙貧弱)のですが、主にその現実の生活で感じ得ない違和感や気持ち悪さが気持ちよくて月一くらいでなんか観たくなる方なのでそんな感じです。

 

・観劇中や直後のあれこれ

ひばりちゃんいい匂い(バニラ系)

洞子さんもいい匂い(フローラル系)

うえだくん無臭…(と、上田君が最後に通る通路横席だった友人が申しておりました)

 

観劇して帰り際が結構大雪で明日電車大丈夫だろうかとかこのまま冬眠したい…とかその場でふと思ったどうでもいいようなことを今更のように思い出せたりはするのだけれど、メモを見返して感想をまとめようとするとうーーーーんってなって今に至っておりました(感想寝かせすぎ)

 

大阪初日観劇して帰宅したらソチオリンピックの開会式でウワァってなったりしてたらあれよあれよという間にウクライナがあのような情勢になり、まさにロシアの殺し屋まじ恐ろしやじゃない?みたいなボケた会話を友人としたところまでセットで私の添い寝っ熊ですとか言わなくていいようなくだらないことを言いつつ、観劇時のメモ書きを引っ張り出したものを貼り付けておこうと思います。

 

・あれこれ考えてみた様子のうかがえるメモより

(以下、メモより拾い集めたりまとめたり)

終盤の多根彦のセリフ「死ねばいいのに…!」≒犬詩人ひばりが多根彦の言葉に対して「それは詩ね!」より。

→『死』と『詩』が掛け言葉

 

蜂蜜を舐める熊は招く(「戦争を招こうよ」)鼻を鈍らせないために蜂蜜を与えられない犬は嗅ぎ付け、猟師は犬に嗅覚に導かれる。

ヒトは蜂蜜を舐める。猟師は熊を撃ち胆(イ)を売る。

明治の新潟には油井戸(イ)があった。燃える"におう水"が出た。

イ(井・胆)=エネルギーの代名詞・欲望の対象。

エネルギーを巡る争い(戦争)でヒトが死んだ。

多根彦は最後に嗅ぎつけるもの(つまり犬)になった。エネルギー(イ:熊の胆・井≒蜂蜜)そのものが欲望する(=招く)嗅ぎ付けるのは犬、犬に導かれるものはヒト。

犬 によりヒトが導かれる。熊とヒトが契った。

はじめに犬ありき。犬詩人、犬は詩を読む(詩ね!)、転じて犬は死をよむ(死ね!)

セリフ「猟師は職業にはならない」→職業ではなく生業?→業→罪の意識(?)(野犬を的にして射撃訓練をする一兄さんに業とか罪とかいう意識はあまりなさそう)

 

犬・去ぬ・居ぬで掛け言葉なら、はじめに犬ありき、って言ってるけど犬っていたのかなぁいなかったのかなぁってボケたこと言いそうになるんですけど、一兄さんには多根彦というエネルギーや欲望を嗅ぎ付ける存在(犬)があったわけで添い寝っ熊とは一言で言い表せば現代の川下兄弟が犬を要とし運命に翻弄される話、なのかなぁ。と。これは私の印象ですが。

(今ふと思い出したんですが、観劇後あらすじだけ調べたらしい母に『こないだ観に行ってたやつなんか三角関係の話でしょ?』みたいなこと言われましたが、いやまあうん外れてないんだけど…!犬と熊とヒトの三角関係っていう感じの三角関係かなあ…!)

現代場面と類似した、というよりか現代場面より長いんじゃないかという過去場面がありましたが、それらはあくまで現代の場面における“もしかしたら…"という想像を強化するための補足であり、舞台上に立つ役者もまた舞台世界を表現するいち装置にすぎないような感じを受けました。多人数のババ達などはまさにその舞台を強化する役割であったわけですけれども。

ババ友と言えば、途中思い立ってババ友の人数を数えたり兵士の数を数えたりなどしていたのですけれど、どこまで舞台上の人数に意図があったのかわかりませんが数えた方ほかにいないかな…

---6/26追記

猟師は流通でいうと上流にいると思うのだけど、あのおうちは川下家なんだけど、流通の川下→ヒトの世界?(時間)か?

冬眠する前の熊は脂肪というエネルギーを蓄積して冬眠に至る 。熊のイ(胆)が肥えるのは飢餓時(冬眠期間=絶食期間)(絶食で脂質を分解する代謝に切り替わるからか?)=冬眠前は小さいので冬眠明けの肥えた熊のイを狙う。 

転じて、冬眠する熊に添い寝するということはエネルギーに飢えていくということ…?(マタギに関する書籍を偶然見つけてパラ読みしてのメモ)

この書籍です>http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%AE-%E7%9F%9B%E7%9B%BE%E3%81%AA%E3%81%8D%E5%8A%B4%E5%83%8D%E3%81%A8%E9%A3%9F%E6%96%87%E5%8C%96-%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%BA%B7%E5%BC%98/dp/4777913120

---追記部分ココマデ

 

大仏にヽを打って犬仏、転じて、見物。『ヽ』→天(大に漢数字『一』を足した文字。と、色々言葉遊び的に想像を膨らませていってああこれって受け手が舞台(世界)全体を見渡せる観客席(天の目線?)で観て初めて成立する世界=演劇 という部分もあるかなぁないかなぁ…などと考えてはみるのですが 考えても特に意味のない言葉遊びのような気もしないでもない…

色々とこめられた意図は作り手である演出家や脚本家の頭の中にあるのでしょうが、どう感じるか は観客に丸投げのような余白の部分が 色々細部を考察するのが好きなウエダーさんたちの感想を読んでいて私が楽しい部分でした。

私一人だと、アカンめっちゃ卓袱台返したい。しか言葉が出ない。

 

▼私こんなだけどウエダーの友人は諸々もっとまじめに考えてまとめておりましたのでどうぞ。

 ・戯曲感想

 http://ameblo.jp/repro09/entry-11746157099.html

・観劇感想

http://ameblo.jp/repro09/entry-11765866425.html

 

ウエダーの皆様の上田君を通して色々考える面をTLやブログなどでたくさん窺えて添い寝っ熊期間とても楽しかったなぁというのも上演期間内の印象でした。

 

話は少しそれますが。

身近にウエダーを感じていると、ウエダーの内面を掘り下げて考察する部分と、田口担の好きなパーツ語る部分のコントラストって個人的にとても面白いなと感じるので『上田君ファンによる上田君考察本』とか『田口担による田口君パーツ語り本』とか読みたいです。いや、本でなくてもいいけどまとめてお聞きしたいネタであったりします。

 

それにしても上半期の頭と終わりが上田君田口君に舞台で2014年上半期ですでにお腹がいっぱいなのですが

あ、7月からツアーだったヤッタァ…!休む暇がありませんね!!(いよいよ脱線してきたので終わります)